4.9.11

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監督:西河克己
1918年鳥取県生まれ。日本大学芸術学部卒業。1939年松竹大船撮影所入社。初監督作品は1952年の『伊豆の艶歌師』(主演:佐田啓二)、1954年日活に移籍し、吉永小百合主演の「青い山脈」「伊豆の踊子」などが大ヒットを記録、その後テレビ界にも進出するが、70年代に入り、東宝映画にて山口百恵・三浦友和のコンビで「伊豆の踊子」をリメイク、たて続けに「潮騒」「絶唱」を同コンビで制作し、何れもヒット、百恵友和コンビの人気を不動のものとした。80年代には小泉今日子主演「生徒諸君!」富田靖子主演「マイフェニックス」なども監督し、世代を超えた“アイドル映画の名匠”である。1992年の「一杯のかけそば」が最後の作品。2010年没。

製作:天尾完次
東映京都撮影所にてキャリアをスタート。1963年作「十七人の忍者」(監督:長谷川安人)「十三人の刺客」(監督:工藤栄一)を企画。東映“集団抗争時代劇”というジャンルを確立させる。その後、ピンク女優を大量投入した事でも話題となった1968年作「徳川女系図」を皮切りに、「徳川いれずみ師 責め地獄」「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」など石井輝男監督作品を次々と企画し、“東映ポルノ”“異常性愛路線”を岡田茂の片腕となって牽引していく。ちなみに“ポルノ映画”という言葉は1971年「温泉みみず芸者」の際に、はじめて使われた天尾氏による造語である。エログロ路線の人気に陰りを見せる70年代半ばには、「新幹線大爆破」や「トラック野郎」シリーズ、更には80年代に入り「二百三高地」などをヒットさせた。その後、東映Vシネマの立ち上げにも関わった功績も見逃せない。2011年没。

原作:上之郷利昭
1936年三重県生まれ。英国ロイター通信社や日本の新聞記者を約20年間つとめ世界各国を取材。新聞のほか「文藝春秋」「中央公論」など数多くの雑誌に鋭いルポを掲載する。1977年の独立後は作家・評論家・ジャーナリストとして活躍。ヒューレット・パッカードのジョン・ヤング、本田宗一郎、松下幸之助など国内外の経営者及び企業を取材し「プレジデント」「フォーブス」など数多くの雑誌に発表。また国内に留まらず海外でも数多くの講演活動を行っている。また「武田信玄唯一の失敗/会社は何故潰れるのか」など、経営的視点から歴史上の人物を論じた著書も数多く出版している。また「スパルタの海」の他にも、商社“安宅”の崩壊を描いた「企業崩壊」や「岡田有希子はなぜ死んだか」など、センセーショナルな題材の著書も執筆。「取締役になれる人 部課長で終わる人」など多くのビジネス書もヒットさている。2006年没。




CAST
伊東四朗(戸塚宏)
1937年東京生まれ。1958年石井均一座“笑う仲間”に参加。喜劇役者としてのキャリアをスタート。1961年一座のメンバーでもあった戸塚睦夫三波伸介とともに“ぐうたらトリオ”を結成。のちに“てんぷくトリオ”と改名。舞台やテレビで大人気となる。1976年開始のTVバラエティ「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」(テレビ朝日系)では“ベンジャミン伊東”として、「電線音頭」が大流行。小松政夫との絶妙なコンビでお茶の間での人気を不動のものとする。「ずん」「ニン」などの流行語も数多く生まれた。1979年には人気クイズ番組「ザ・チャンス」の司会者にも抜擢される。1983年にはNHK「おしん」で父親役を演じ、以降本格俳優としての地位も確立していく。土曜ワイド劇場「天国と地獄の美女~江戸川乱歩のパノラマ島奇談」(テレビ朝日系)などでの“怪演”も一部のファンからは非常に高く評価されている。現在でも、テレビ、ラジオ、舞台にと活躍の場はとどまる所を知らない。2011年したまちコメディ映画祭in台東にて「第4回コメディ栄誉賞」を受賞。


辻野幸一(松本俊平)
1982年テレビドラマ「3年B組貫八先生 」(TBS)生徒役でデビュー。1984年映画「想い出のアン」1987年NHK大河ドラマ「独眼竜正宗」などに出演。現在は芸能界を引退している。

平田昭彦(松本俊一)
1927年日本統治下の現韓国に生まれる。東京大学在学中から、新東宝の監督だった兄嘉幹の助監督を務める。卒業後は東京貿易に入社するが、李香蘭こと山口淑子の誘いもあって1953年東宝第5期ニューフェースとしてデビュー。「鉄腕涙あり」(1953年)で主演を務めるも評価を得られず、その後は脇役の道を生涯歩む事となる。シリーズ第1作目「ゴジラ」(1954年)芹沢博士役の名演以来、円谷プロ特撮映画の常連となる。テレビでも「ウルトラマン」の岩本博士、「レインボーマン」のミスターKなど数々の名演を残している。特撮映画の歴史の中で脇役でありながら確固たる地位を築き上げた、記憶に残る名優である。妻は女優の久我美子。1984年没。

小山明子(松本勢津)
1935年千葉県生まれ。洋裁学校時代、ファッションショーに出演、雑誌「家庭よみうり」のカバーガールに採用されたのをきっかけに松竹にスカウトされる。1955年「ママ横をむいてて」で映画デビュー。1955年の「新婚白書」に出演した際、助監督を務めていた大島渚と出会い、1960年に結婚。「霧の旗」「瀬戸内少年野球団・青春篇最後の楽園」など数々の映画に出演。また、人気テレビドラマ「あかんたれ」「道頓堀」などでも好演。しかし、1996年に夫の大島渚が脳出血で倒れて以降、女優業を離れ、夫の介護に専念する生活が続いている。現在では介護をテーマにした講演会や執筆活動も精力的に行なっており、「パパはマイナス50点」(第25回日本文芸大賞エッセイ賞受賞)や「小山明子のしあわせ日和」などの著書がある。

横田ひとみ(沢明子)
「燃えろアタック」(テレビ朝日系)「ただいま放課後」(フジテレビ系)などのテレビドラマ出演後、1983年6月にシングル「ローレライ/かざぐるま」で歌手デビュー。現在は芸能界を引退している。

山本みどり(水谷恒子)
1957年静岡県生まれ。大学時代から劇団「夢の遊眠社」に参加。1978年ポーラテレビ小説「夫婦ようそろ」で主演デビュー。現在でも「水戸黄門」をはじめ数多くのテレビドラマに出演している。1983年当時、写真集「清純派女優の大冒険」で初々しいヌードも披露している。

牟田悌三(山上幸三)
1928年東京都生まれ。北海道大学農学部在学中にNHK札幌放送劇団に入団。卒業とともに退団。劇団テアトル・エコー創設メンバーの1人でもある。テレビ黎明期から主にホームドラマで活躍。TBSの子供向け人気ドラマ「ケンちゃん」シリーズの父親役を数多く演じ、知名度を全国区とする。以降温厚な父親役から、鬼気迫る犯人役まで、確かな演技力で脇をかためる事の出来る名バイプレイヤーとして活躍する。プライベートではボランティア活動や、子供向けの電話相談機関「チャイルドライン」の普及活動をするなど子供の教育問題にも熱心であった。2009年没。

原ひさ子(松本ふじ)
1909年静岡県生まれ。1933年前進座に入る。新橋演舞場の「牛を喰らふ」の街娘役が初舞台。山中貞雄監督1937年の名作「人情紙風船」にも出演。1942年に東宝専属女優となる。その後脇役ながら数多くの名画に出演。テレビドラマ、CM、バラエティー番組にも出演し“日本のおばあちゃん”的存在としてお茶の間にも浸透する。最後の映画作品は竹中直人監督2005年公開「サヨナラCOLOR」2005年没。










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